『戀の罪』覺書

尾澤→東都大學助敎授のエリート。實はいちばん「愛」を求めてゐる。しかも自分に向けられる「愛」がすなはち性慾でしかないことをも知つてゐる。父に對する倒錯した感情を持つてゐる。尾澤はいつまでたつても「城」に辿りつかず、そのことに言ひ知れぬ苦しみを感じてゐる。そして最後には耐へられなくなつて自分を殺してくれと言ふ。そして、殺される。

尾澤の父→十年前に死ぬ。娘にカフカの「城」の思想を吹き込む。色情狂か。自分の娘の裸體を描いてゐた。おそらく娘は、それらの繪をどこかの時點で見たのだらう。そして、自分の體を人に賣ることを覺えたのであらう。つまり、性的な存在になることこそが、男に愛されるすべなのだと思ふやうになつたのである。

いづみ→抑壓からの解放を求めてセツクスしてゐる。しかし、序盤ではまだ夫の事を氣にしてゐる。尾澤に「夫はピュアすぎてついていけない」と打ち明ける。尾澤の一見つきぬけて見える性格に憧れを感じ、尾澤を師と仰ぐやうになるが、いづみが尾澤に對して抱いてゐた印象は幻想であり、のちに尾澤が弱い女だつたと知ることになる。そして「私は慘めぢやねえよ」と尾澤に言ふ。夫の事は完全に忘れ去る。

魔女つ子クラブの男→ピンクのペイントボールを投げることによつて、女に(僞りの)「愛」の觀念を吹き込む存在か。

いづみの夫→愛は世界を照らすなどと大層なことを言つてゐるが、中身は單なる色情狂。

和子→不倫することに何らの罪惡感をも持たない。そして尾澤同様、對男でセツクスしてゐる。いずみとは眞逆。「愛」を求めてゐる。
ナイフを自分の胸に刺して死んだ女の幻影が付きまとふ。その女は和子に、「浮氣したことを夫に知られたくないから攜帶を折つてくれ」と賴まれる。
 最後、淸掃車を追ひかけて行つて城に辿り着く。男から「今どこだ?」と聞かれて「分からん」と一言。が、園監督によれば彼女は生活を守る女なのでおそらくひきかへすだらうと。



●「城」の解釋
 城とは「愛」のことである。人は「愛」を求めてさ迷ひ歩くが、いつかうそれに辿り着くことはない。「愛」を求めようとして、無限の戀愛道に入り込んだ結果が、尾澤の慘劇に他ならぬ。
 最後、刑事の女が、淸掃車を追ひかける場面がある。そしていつの間にか、廢墟に辿り着く。ここで、女のとる行動としては三つの選擇肢がある。廢墟に行くといふ選擇肢がひとつ。その後もずつと、城を追ひ續けるといふ選擇肢がひとつ。そしてひきかへすといふ選擇肢がひとつ。刑事がどれをとるかは分からない。が、いづみは、廢墟へ行つた人間である。

●「言葉なんか覺えるんぢやなかつた」の解釋

日本人は「愛」といふ言葉を覺えたせゐで、愛を求めるやうになつたが、實際それは日本人にとつては空無な言葉であつたがゆゑに、無限地獄に迷ひこむやうになつたのである。この象徴が尾澤といふ女。
 しかし、尾澤とは對照的な存在であるいづみも、この詩に拘り續ける。そして、男に、クソみたいな詩だと言はれる。いづみにとつて、この詩は何だつたのだらう。
いづみにとつては、「本當の自分」が「城」だつたのか。この點に就てはなほ考察の餘地があらう。

笹塚透の手記

備忘録。所詮。

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