社會契約説概觀
●ホッブズとルソー
本朝に於て、ホッブズの『リヴァイアサン』は、政治學の古典として多くの學生に讀まれてゐるが、その内容は、單なる妄想の垂れ流しに過ぎない。まともな知性の持ち主であれば、唾棄して當然の本であり、讀むだけ時間の無駄であるから、ここに要約させていただく。ホッブズは同書の中で「自然状態」に於て「万人の万人に対する鬪爭」が生ずると述べたが、その論理は次の通り。
──人間は平等の權利を持ち、平等の權利を持つがゆゑに、そこに「希望の平等」が生じる。これは反轉して、他者への警戒となり、人間に疑心暗鬼の念を生ぜしめる。この疑心暗鬼を乘り越えるためには、幾人かの結束により徒黨を組み、自らの危險を犯す者を排除しなければならない。それを抑止するために、統治者と個人との間に契約が結ばれる。
笑止千萬。ホッブズは人間が、平等の權利を持つと云ふが、何ゆゑに平等の權利を持つかと云ふことに就ては一切口を閉ざしてゐる。社會のみならサルにだつてあるが、サルもまた、契約によつて社會を形成したのだらうか。社會が形成される前のサルは皆平等の權利を持つてゐたか。そんな筈はなからう。假に「自然状態」なるものがあつたとしても、個體によつて能力に差があるとすれば、平等な權利など存在する筈がない。個體によつて能力に差があることは、人間も同じである。とすれば、どうして人間だけが、他の生物と異なる仕方で社會を形成したと言へるのか。ホッブズの説の誤りは明らかである。
しかし、社會契約説はこれだけでは終はらなかつた。“殘虐な妄想家”ルソーの登場である。ルソーは、ホッブズとは逆に、自然状態とはすなはち「平和」のことであると言つた。その論理は以下の通り。
──自然状態に於ては人間を束縛するものは何もないのだから、人間は好きなときに寢て、好きなときに食べ、好きなときに好みの人間と關係を持つことが出來る。ゆゑに人間は自然状態に於ては「平和」である。勿論、各所に於て幾ばくかの衝突はあるだらうが、全體としては平和だ。自然状態では、人間の人間に対する支配が全くあり得ない。自然状態では、「所有」の概念が成立しない。
要するに、ホッブズが「自然状態」と呼んでゐるものを、ルソーは「社會状態」と見なしてゐるのである。ルソーによれば、ホッブズの自然状態は「自然」でない。何故ならホッブズの考へてゐる自然状態では、人間同士が集まつて暮らしてをり、それは既に社會が成立してゐる状態と言つて良いからである。ゆゑに、ルソーは眞の「自然状態」に就て考へるには、ホッブズの言ふ「自然状態」の、更に前の状態を考へなければならないのだとした。
これは、ホッブズの社會契約説よりももつと質が惡い。では、どのやうな生物でも良いから「自然状態」にあるものを指摘してみたまへと言ひたいところである。ルソーの言ふ「自然状態」はこの世のいかなる場所にも存在しない桃源郷である。
17世紀から18世紀にかけて、かういふ狂つた思想が西欧中に蔓延した。その末路が、あのフランス革命である。フランス革命は、公敎育の現場では恰も良いものであつたかのやうに敎へられてゐるが、その實態はとかく悲慘なものであり、ロシア革命と竝んで人類の負の歷史の最たるものであつた。これに就てはここでは深く述べないが、詳細はバーク『フランス革命の省察』、中川八洋『正統の哲学 異端の思想』等を參照されたい。
●ヒュームの社會契約説批判
ホッブズとルソーの社會契約説にはいくばくかの相違があるものの、國家といふものが人間の合意によつて一から計畫的に作られたのであり、現在の國家も、そのやうな合意によつて維持されてゐるのだといふ認識に於ては兩者共通してゐる。この點を衝いて激しい批判を加へたのが、“英國の神童”デイヴィッド=ヒュームであつた。
ヒュームは、『人性論』に於て、史上に記録のある政府の起源は、殆んど全てが、權力奪取か征服に基づくものであり、人民の同意や、自發的な服従を理由にするものではなかつた、と指摘した。
また、ヒューム曰く、確かに既存の政治組織に於ては人民の意向がある程度考慮されることもあるが、新政府樹立の際には、軍事力ないし政治的術策が議論を決定するのが普通であり、そこでは人民の意志などといふものが介入する餘地は殆んどない。
では、だとすれば、現在の國家はいかなる仕組みによつて維持され、國民はいかなる理由によつてその統治に從はなければならないのだらうか。これに就てヒュームは、政府に對する國民の服從義務の根據は、過去の時代から相續した社會秩序に從はなければ社會が存續できないといふことにあり(利益説)、また今の王家が、たとえ大昔、人々を暴力によつて支配したのであつたとしても、今社會秩序が維持されてゐるのであれば、王に權威を移讓することが適當であると主張した。
先の思想的と竝べて見るが良い。ヒュームの方が、歷史學的見地から考察を行つてゐるのに對して、社會契約説の二者は、歷史的な根據を一切持つてをらず、畢竟頭の中でこねくりまはした妄想を垂れ流してゐるに過ぎない。
●社會契約説の受容
社會契約説の受容の例としては、アメリカ獨立宣言を見るのが良いだらう。アメリカ獨立宣言は、それまでのイギリスの壓政、惡政を告發し、平等、自由、幸福の追求などの「基本的人權」と壓政に對する「革命權」を認め、高らかに宣言したもので、アメリカ内部の王黨派や、獨立に反對する保守派に對して獨立戰爭の正當性を訴へ、結束を強める目的を持つてゐた。アメリカ獨立宣言に盛り込まれた抵抗權・革命權の思想は、17世紀後半のイギリスの思想家ロックにさかのぼるが、この人民主權の理念は、獨立後に制定されたアメリカ合聚國憲法に繼承されて行く。
しかし、ハミルトン、マディソンらによつて起草された現在のアメリカ合聚國憲法は、ヒュームの思想的影響下にあり、社會契約説を完全に排除してゐる。要するに、アメリカは、社會契約説の誤りに氣づいたのである。これに就ての詳細は、ハミルトン『ザ・フェデラリスト』を參照されたい。
アメリカは、はるか昔に社會契約説を退け、利益説をとつてゐる。しかし、現代日本の政治に於ては、ヒュームらがなしたやうな利益説の思想的影響は殆んど見られず、むしろ、社會契約説的な思想の影響が強く見られる。戰後日本は、近代國家ではない。
例へば、日本國憲法前文の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」といふ箇所などは、社會契約説的な思想の影響が色濃く反映されてゐる惡文の中の惡文であり、早急に改めるべきである。
しかし、社會契約説が日本の傳統であつたかと問はれれば、否と答へざるを得ない。日本とても、僅かながら近代國家であつた時期があつた。明治時代である。
現代人は、明治憲法を軍國主義の憲法と思ひ込んでゐるが、全く以て間違つてゐる。明治憲法こそ、近代立憲君主國の模範的な憲法である。
明治憲法に於ては、社會契約説の影響は全く見られないと言つて良い。むしろ、「國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ」(上諭)といつた箇所などに見られるやうに、國家統治の正當性が、祖先から相續した權威によるものであるといふ思想に立脚してゐる。驚くなかれ、この思想は、ヒュームが論じた利益説の思想そのままである。これは、明治憲法を起草した井上毅、金子堅太郎らが、本居宣長の古道論及びヒュームの利益説を更に發展させたバーク保守主義の思想的影響を強く受けてゐたことによる(金子堅太郎は、バーク『フランス革命の省察』を邦譯した最初の人である。抄譯ではあるが)。とかく彼らは、現代の法學者の百歩先を行つてゐたのである。
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