体育の日

今はや十月なるに洛中は依然として夏のあつさが続いてゐる。朝早く起きて授業に行かうと思つたら、門が閉つてゐた。どうやら今日は「体育の日」らしい。
 それにしても「体育の日」などといふ名称を考へた人は、いつたいどういふ神経をしてゐるのかと思ふ。戦前の祝日は、「紀元節」とか「新嘗祭」とか、すべて皇室にゆかりあるものであつた。ゆゑに国民にとつて祝日とは尊く有難い日にほかならなかつた。さういふ有難い日を、有難いと感じることによつて、民衆は自然に、何らの疑ひをさしはさむこともなく、日本文化に参画した。
 今の祝日はどうであらうか。体育の日、勤労感謝の日、文化の日……いづれも皆、抽象的な断片に過ぎぬ。そこには秩序といふものがない。「全体」がない。僕らは、全体に参画するよろこびを断たれてゐる。ただ一日ばかり仕事をしなくて良いといふ、怠惰なよろこびがあるだけだ。かはいさうな現代人。

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