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笹塚透の手記

備忘録。所詮。

2018.10.24 00:54

伏見にて

伏見にて朝を迎ふ。秋寒のひゆるかはべに人とゐて、わが詠める歌。あまぐものたゆたふあさやさぶしとふながあからほにあきはきにけり

2018.10.13 00:54

味酒、三輪の山、あをによし……

    きのふはさくらゐへゆきて、三輪山に登拝しき——なべての山にはあらず、山さながらにして神なればこそ、ここにのぼるをさして「登拝」とはいふなれ——いみじく険しきに、大物主神のみちからを感じつつのぼれり。道すがら、するどき雨うちふりて、うろたへたるに、ぬかるみをこえ、頂にたどり着けば、あなあはれ、げにえもいはぬ、奥つ磐座のかたじけなさに...

2018.10.08 01:15

体育の日

今はや十月なるに洛中は依然として夏のあつさが続いてゐる。朝早く起きて授業に行かうと思つたら、門が閉つてゐた。どうやら今日は「体育の日」らしい。 それにしても「体育の日」などといふ名称を考へた人は、いつたいどういふ神経をしてゐるのかと思ふ。戦前の祝日は、「紀元節」とか「新嘗祭」とか、すべて皇室にゆかりあるものであつた。ゆゑに国民にとつて祝日とは尊く有...

2018.09.26 02:23

福田氏を想ふ

かつて鴎外が「日本は未だ普請中だ」と作中の男をして言はしめたやうに、近代化、すなはち西洋文化と日本文化の統合といふことが、日本の最重要課題であつたのだが、それから、百年以上を経た今、いつたい誰が近代化のことを考へてゐるだらうか、まことに心許ないものがある。近代化はまだ終はつてゐない。といふことはつまり、近代が始まつてゐないといふことだ。日本は湖面に浮遊する舵...

2018.02.15 21:55

社會契約説概觀

●ホッブズとルソー本朝に於て、ホッブズの『リヴァイアサン』は、政治學の古典として多くの學生に讀まれてゐるが、その内容は、單なる妄想の垂れ流しに過ぎない。まともな知性の持ち主であれば、唾棄して當然の本であり、讀むだけ時間の無駄であるから、ここに要約させていただく。ホッブズは同書の中で「自然状態」に於て「万人の万人に対する鬪爭」が生ずると述べたが、その論理は次の...

2018.02.03 10:52

元首と主權

天皇は日本國の元首であり、また元首であつた。これは疑ひやうのない事實である。 しかし、現代人は何故か「元首」といふ言葉を「專制君主」の同義語だと思ひ込んでゐるため、いよいよ話が厄介になつてくる。 元首といふのは、國家の代表といふ程度の意味であり、何も主權(無制限の權力)の保持者といふ意味ではない。天皇は、元首ではあるが、主權の保持者ではない。この事をよく理解...

2018.01.28 03:38

一筆

伊東靜雄『送別 田中克己の南征』(「春のいそぎ」所収) より。伊東靜雄といふ人は、そこはかとなく妖艷な詩を書く印象がある。朱筆がふさはしからう。

2018.01.23 20:22

悲しき紙片

 アマゾンで買つた『女子学生、渡辺京二に会いに行く』に何やら紙片が挾まつてゐる。「F佳 面白そうな本を見つけたので、ちょっと早めのクリスマスプレゼントとします。 Y照」  はゝあ、Y照はなか\/の讀書家だな。そしてF佳は、平生は讀書なども碌にせぬ頃日の女子學生か。さういふ娘に、『逝きし世の面影』なんぞ贈つたところで、優雅な置物となり果つる定め、讀んでくれる道...

2018.01.19 18:27

『戀の罪』覺書

尾澤→東都大學助敎授のエリート。實はいちばん「愛」を求めてゐる。しかも自分に向けられる「愛」がすなはち性慾でしかないことをも知つてゐる。父に對する倒錯した感情を持つてゐる。尾澤はいつまでたつても「城」に辿りつかず、そのことに言ひ知れぬ苦しみを感じてゐる。そして最後には耐へられなくなつて自分を殺してくれと言ふ。そして、殺される。尾澤の父→十年前に死ぬ。娘にカフ...

2018.01.19 14:20

雜感

 最近、想像力がなくなつてゐるやうに感ずる。勉強に勤しんでゐるためだらうか。勉強の方は、エドマンド・バークを中心に、ヒューム、コーク、チェスタトンなどの保守思想の古典をひたすら讀み進めて行つてゐる。しかし最終的にはこれらの思想を皇室擁護の思想に歸一させて行きたいと考へてゐるので、私の專門は「天皇論」と云ふのが最も相應しいだらうと思はれる。  また、合間を見つ...

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